みなさんこんにちは。Megです。
4月。11年前の新生活のことを思い出しました。
それは、ミッションスクールに行くことになって、体操着やうわばきと一緒に聖書が我が家にやってきたときのことです。
私(12歳)の心の声。
(おお。分厚い本だな。)
(小説みたいに最初から読んでみよう。)
創世記「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」
※創世記1章2節
怖っ!!!
(当時のイメージ:地下の洞窟の地底湖みたいなところでひとだまみたいのがふわふわしてる)
パタン!
聖書とのファーストコンタクトはこんな感じでしたが、学校で礼拝に出るうち、
「あっ聖書って途中から読んでもいいんだ」「おもしろい」と思えました。
途中からというより、聖書はひとつづきの書物ではなく、多くの書物が集まってできているので、いろんなところから読めるんですよね。
ミッションスクールでたくさん礼拝に出たり聖書の授業を聴いたりして大好きになり、大学ではキリスト教学科へ。
怖っ!
の思い出は、ずっと残るフフフと笑える思い出なのでしたー。
不安なご時世ですが、心を込めて神をめっちゃ仰ぎましょう。
主の平安。
P.S.2024.4追記
中一の私が逃げてしまうようにして閉じた創世記1章2節の言葉、神の霊が水の面を動いていた
に対し、霊という言葉は、聞き慣れてしまったクリスチャンにはわかるものの、未信者や言葉のセンスに敏感な人には、死霊やご霊前や幽霊などから死を連想させる可能性がある、と指摘された方がありました。
これから生き生きとした創造の御業がはじまっていくのだから、息吹きと訳してもいいよね、というのがその人の持論でした。
深く共感すると共に、目の前にある訳や印象ばかりでなく深く聖書を味わう恵みを心より願います。