♰ Happy Easter ♰
主の平安がありますように。Megです。
イースターを迎えました。教会はお休みになっているので、学校の先輩たちとLINE電話で手作りのイースター礼拝をささげました。感謝です。
「ご復活」でいつも思い出す好きな聖書箇所があります。
わたしは7年前のイースターに洗礼を受けたのですが、洗礼準備中に「好きな聖書箇所は?」と訊かれ、ここを挙げました。
それは、起き上がらされたのはイエス様だけじゃない
神さまの希望はわたしたちに与えられると知った箇所だったからです。
クリスチャンとしての誕生日がイースター。希望の子になりたい。希望を日々あらたに受け取って生きていきたい。そんな願いを持っています。
その聖書箇所とは、マリア&マルタ・シスターズの兄弟、ラザロの死に関するヨハネ福音書11章のお話です。
ラザロは病気でした。
イエスのもとに「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」という報が入ります。
イエスは、それを聞いて言われます。
「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」(ヨハネ11:4)
イエスは勇ましく宣言されます。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」
弟子たちは、ラザロは寝ているものだと思いましたが、ラザロは死んだのでした。
イエスは弟子たちにはっきりと言われました。
「ラザロは死んだのだ。
わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。
あなたがたが信じるようになるためである。
さあ、彼のところへ行こう。」
…😢💓
ラザロが亡くなったので、マルタとマリアのところには多くのユダヤ人が慰めに来ていました。
マルタはイエスが来られたと聞いて迎えに行きますが、
マリアは家の中に座っていました。(ヨハネ11:20)
わたしはここを読んだときに、マリアの失意、力が抜けるような悲しみを感じました。
お慕いしているイエスが来ても、迎えに行けないくらいつらかったのではないかなぁと勝手に想像しました。
そんな想像をしたのはわたしにも深い悲しみの経験があったからでした。
深く慕っていた人を中学生の時に亡くし、ぬけがらのようになった時期があったのです。
そのとき、悲しいときって本当に胸がキューっと痛いんだなぁとか
なにもする元気がないなぁとか、
体全体で悲しみを味わいました。
その時に何を言うでもなく、お茶をのませて泣かせてくれたのが学校の司祭さんでした。
のちにその司祭さんから洗礼を受け、希望の子として生きていこうと決意するときに、「聖書の中には、悲しくて立ち上がる元気もなくなった女性がイエスに出会った物語がある」と感じたことが支えになったのです。
マリアが座っている間、マルタとイエスの会話の中には、深い信仰告白と、イエスの宣言があります。
イエス様のこの宣言は印象深いです。「わたしは復活であり、命である。」
マルタは家に戻って、座っているマリアを呼んで、耳打ちします。
「先生がいらして、あなたをお呼びです」
すると、マリアはすぐに立ち上がります。
ガタっ!
この「立ち上がる」というのが、単なる椅子から立ち上がるような動作なのか。
わたしはイエス様の力が、マリアさんに流れ込み、起き上がらされた出来事だと読んだのです。
ここのギリシア語はエゲイレイン(起こす、目覚めさせる)から来ていて、受身形です。「起こされる」「目覚めさせられる」…
イエス様の「わたしは復活であり、命である」という力がマリアさんに及んだのだと、わたしはここを読んでいます。
イエスは涙を流された。 Jesus wept. ヨハネ11:35
聖書の節の中で一番短い(※英語ではそのようです)というこの言葉は心を打ちます。
イエスさまは天の上のどこかから魔法の杖を振ってなんでも解決するようなやり方ではなく
つらいことのたくさんある世界のただ中に来られました。
そしてともに泣いてくださる。
わたしはそれが静かな希望だと信じます。
ラザロが生き返らされるという奇跡がこの後に語られます。
それはとても大きな出来事で、マリアのこの小さな「復活」というべきことは隠れています。
あえてわたしはマリアの復活に想いをいたしたいと思います。
父なる神様はイエス様を「起こされた」。(新約聖書学者 廣石望先生)
起き上がらされたのはイエス様だけじゃない。
死という完全な闇からも、神様は光を生み出されます。
絶望という心の闇にも、光がもたらされます。
イエス様、あなたに信頼します。
イースターおめでとうございます。halleluiah.
* * *
新型コロナウイルスが日本でも猛威をふるっていて
とても心を痛めております。
きょうの手作り礼拝(聖公会祈祷書の朝の礼拝と嘆願)では、立教大学のチャペルが提供している、
「新型コロナウイルス感染症対応としての『礼拝(公祷)休止』に際して
ともに集って祈れない『わたしたち』の祈り」
をささげました。
シェアいたします。よろしければお祈りください。
早くこの事態が収束しますように心よりお祈りしております。
最後までお読みいただきありがとうございました。