こんにちは! Megです。一か月ぶりの更新となりました。
みなさん大変ですがいかがお過ごしですか…。
クリスチャンライフのブログなので教会の話をすると、私の属するアングリカンの教会の東京教区では、礼拝の休止が三か月になりました。教会でみんなとお祈りできないし、電車に乗っててもなんか人同士が疑い合いながら、とげとげした雰囲気が流れているような…家族はコロナ鬱かも〜とか言っています。
大変なことってあるけれど、東日本大震災のときともまた違うような気がしませんか。心が冷えきり、ソーシャルディスタンスだけじゃなくて心の距離が変わったような気がします。知らない人同士が警戒し合っているような。
でも、オンラインにアーティストがいつもだったらとてもとてもタダでは見れないようなコンテンツをアップしてくれていたり、オンライン会議システムを使った交流など、人の温かさを感じるような出来事も溢れているように思います。ぷちほっこりできる良かったことにどれだけフォーカスできるかが、心が冷えきることから解放されるために重要なスキルになっている気がします。(あとでこの話します!)
文明のりきを使い、オンライン会議システム・いまはやりのZOOMで手作りの礼拝を捧げています。大学院の先輩がいろんな教会の人に声をかけて、日曜の朝と晩に音楽たっぷりの礼拝をしているのです。
参加者がかわるがわる歌や、朗読や、パイプオルガン!お説教!!を担当。
わたしはこのためにゲーミングヘッドセットを買いまして、熱唱しております。
急にこんな話をするのはなぜ?と思われるかもしれませんが、日本のクリスチャンはとても少ないです。クリスチャンホームのかたもいるけれど、家族の中でクリスチャンは自分だけ、とか、家族に信仰を理解してもらえていないということも往々にしてあるでしょう。
ZOOMで家から配信して礼拝をすると、そういうところで「試され」ます。
私は聖歌を熱唱しているとき、ドキドキします。イエス様の名前を出すのがはばかられるときも、あります。
家族が横でテレビを見ていることもあります。
「何してんの???」「礼拝したらなにかいいことある?」「礼拝してもあなたは立派な人間になれていない。」など、グサっとくることも。。。
きょうは、三位一体主日。
いろんな異端とされた勢力によって、むしろアイデンティティを確認してきたキリスト教は、神様ってどんな方なんだろうなって考えて、歴史の中でもがいてきたと思います。
周りから磨かれていくというか。
礼拝を終えると、家族に言われました。
「礼拝って何を礼拝してるの?」
「神様だよ。」
って即答。
でも、わたしはその神様をどんな方だと考えているのだろう。
参加している人の顔をスマホで見て、ああ音質悪いなとか、声がそろわないなとか、次はわたしの聖歌奉唱だ、うまく音が乗るかなとか思っているとき、神様のことを考えているかな。って反省する必要があるなって思ったんです。
ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっているとき、わたしもその中にいると約束してくださったイエス様は、ZOOMのメンバーの中にいたのかも。
声がそろわなくても、美しくなくても、礼拝をしよう‼って思ってパスワード入力して、ミーティングルームに入ったってことがすごく神様によろこばれているなって思います。
YouTubeで礼拝動画とかも見られますね。それをスマホでかけてたらうるさいって家族に怒られたけど、それは単なるわさわさした人の声ではない。
イエス様ってとても人間としてわさわさした生活音、雑音の中で生きられたので、たとえオンラインの声が揃ってなくても、ハウリングしてても、むしろそういう中に一緒にいてくださると思うんですよね。
神さまは、どこにおられるか?「どこにでもおられるよ。」遍在という言葉もあるけれど、わたしは神さまはオンライン、画面の向こうにもいらっしゃると感じます。
Facebookのメッセンジャーとかって、その人がオンラインだと丸いポッチがつくじゃないですか。今連絡つくよ。みたいな
神さまに祈ろうと、神さまのアカウントあけるといっつもポッチがついてると思うんですよね。眠ることなく祈りを聞かれる方だから。
問題なのは!神さまからの通知をオフにしていないかということ!
神秘体験みたいに話しかけられることは稀だし、人に話しても信じてもらえないと思うけど、ふと生活の中で与えられたものの温かみを感じることって、アンテナを張ると意外とたくさん見つかるんですよね。それが神様からの通知バッジ。
「良かったことの祈りのエクササイズ」というのを実践し、神様がくださっているお恵みにたくさん気づき、その信頼感のうちに相談事などを祈りに乗せていくという方法などが書いてある示唆に富んだご本があるので紹介します。
ま、これから暑くなるから、温かみを感じるより涼しい聖霊の息吹がほしいかもですね!笑
聖霊は炎🔥とかであらわされるから、熱いイメージがあったんですけど、カトリックの典礼聖歌の「聖霊の続唱」では、あつさのやすらいとか、涼しい感じの歌詞で表現されていました。きれいな曲なので是非聴いてください〜❤️
最後までお読みいただきありがとうございました!
あなたにお恵みがありますように✨