🌸Megのゆるっとクリスチャンライフ🌸

教会のメッセージやクリスチャングッズのレポートをお伝えするブログです♥️

Megオリジナル☆ロザリオ 喜びの神秘

みなさんクリスマスおめでとうございます。

えっ、遅いですって?ノンノン、クリスマスは25日で終わりではないですよ。

西方教会では12月25日にクリスマスをお祝いしますが、1月6日の顕現日(エピファニー、イエス様が公にあらわれたことを記念する日)まで、クリスマスの時期は続きます。なのでクリスマスツリーはまだ仕舞いません。

 

きょうは、とても信心深いBoysと、大好きなロザリオを唱えました。

ロザリオの唱え方はこちら↓

 

freudemegumi.hatenablog.com

 

さざ波のようにひびいてくるマリア様へのささやき声に癒されました。

クリスマスと関連が深いのが、ロザリオの祈りをするときに一緒に思いめぐらす救いの出来事、「神秘」のなかでも「喜びの神秘」です。イエス様のご誕生と幼年期の出来事の組み合わせだからです。

リズミカルな祈りにのせて、この五つの出来事を思いめぐらします;

1.マリア様に大天使ガブリエルがイエス様のご誕生を告げる。

2.マリア様が親戚のエリサベトを訪問する。

3.イエス様がお生まれになる。

4.幼子イエスを両親が神殿に捧げる。

5.神殿に残ったイエス様を、両親が見つける。

 

ロザリオに関する本や小冊子は数多く発行されていて、そのそれぞれにこの出来事にまつわる様々な黙想がついています。わたしはそういったものを見つけるたびに手に入れていますので、それらを参考にし、オリジナルの要素も加えて、喜びの神秘の黙想を作ってみました。

 

1.お告げ

マリアが仕事をして祈っていると、大天使ガブリエルが神さまのもとからやって来ました。そしてAve Maria,恵みに満ちた方、と呼びかけます。

その声はやわらかい羽のよう、優しく涼やかな声です。

神さまは世の人々を深く愛されたので、人となってわたしたちのただ中に来てくださいました。そのイエス様の母となるという大役を、マリアは信仰をもって受けました。神さまはわたしたちにも、協力をお求めになります。そんなときは、マリアの助けによって、「はい」と答えましょう。

 

2.マリア、エリサベトを訪問する

親戚のエリサベトも、子を宿したと聞いて、マリアは急いで山里に向かいます。その心は、愛で燃え、また、救い主を宿したことを分かちあいたい思いです。エリサベトは、ロザリオを唱えるわたしたちが繰り返す言葉、「ご胎内のおん子も祝福されています」という言葉で、喜びを分かち合います。

マリアは聖霊に満たされて、賛歌を歌って神さまをほめたたえました。

マリアはエリサベトになさったように、わたしたちにも救い主を連れてきてくださいます。イエス様は、わたしたちの心にも訪れるのです。

どのようにお迎えしましょうか。

 

3.イエス様のご降誕

マリアとヨセフは、皇帝の命令に従って、ベツレヘムへ来ました。

大変な道のりです。

しかし泊まる場所はなく、人々は主を受け入れませんでした。

イエス・キリスト、神の子、救い主は

貧しくお生まれになりました。

それをいち早く知ったのは、羊飼いたちです。かれらも貧しい人たちでしたが、彼らこそ、人々に救い主の誕生を知らせた人たちでした。

聖家族のもとに、東方の博士たちがやってきて、宝の箱を開けて贈り物をしました。わたしたちの心にも、実は宝物がたくさんあります。

心を開いて、イエス様に心の中にあるものを、ささげましょう。

 

4.イエス、神殿で奉献される

マリアとヨセフは、息子イエスが与えられたことを神さまに感謝しました。この感謝は、この家族にとどまらず、時代を超えて響くよろこびの声です。

年老いたシメオンは、イエスに出会えた喜びと平安で、神さまをほめたたえました。

主よ、安らかに去らせてください。わたしたちも天国でイエス様に会いたいのです。

エス、マリア、ヨセフのように、わたしたちも自分をささげて、み定めのときまで生きることができるように祈りましょう。

 

5.イエス、神殿で見つかる

聖家族は、エルサレムでお祭りを祝いました。両親が帰路についたのに、イエスは神殿に残ります。マリアとヨセフは、イエスを見失ったことを悲しんで、血まなこになって探しました。イエスは、わたしが父の家にいるはずだと知らなかったのですか、と両親に言われます。その後はナザレで両親に従い、祈りと仕事の生活を送り、背丈が伸び、神と人とに愛されました。

マリア様、わたしもクリスチャンとして成長したいのです。イエス様を見失うことがありませんように、

マリア様、わたしが迷子になったら、探してください。

 

クリスマスは華やかなイベントですが、それゆえに孤独感を強めてしまう人がいることも、感じています。わたし自身もそうです。

そんな時、苦しい人、寂しい人のためにこそ、イエス様がいのちがけでこの世にやってきてくださったというクリスマスの意味が、繰り返しの祈りとともに、からだにしみこんでいくような時間を過ごせたらと思います。