🌸Megのゆるっとクリスチャンライフ🌸

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いのちの底に彼が―修道院での修行、8日目

修道院8日目

 

七夕が過ぎてしまいましたが、イエズス会は星にまつわる詩編のことばをTwitterで七夕の画像と一緒にツイートしていました。さすが、土着の信仰と仲良くしながら宣教してきた修道会だけあります。一方で、キリスト教の大学で短冊飾りを撤去したというお話も見ました。わたしは狭量なクリスチャンの態度は、よい宣教にはならないという立場です。

 

わたしは七夕といえばこんな詩編の言葉が好きです。

あなたの天を、あなたの指の業を

わたしは仰ぎます。

月も、星も、あなたが配置なさったもの。

そのあなたが御心に留めてくださるとは

人間は何ものなのでしょう。

人の子は何ものなのでしょう

あなたが顧みてくださるとは。

 

いつものとおり、レタスとパンとヨーグルトとチーかまとくだものの朝ごはんを食べました。健康的におなかがすくようになりました。

講話に向かいます。

きょうのテーマは、反省、ご聖体、わたしたちの生きる原動力がどこからくるのか、でした。

神父さんはいいます。生きる原動力は祈りからくるが、わたしたちは小さい者。でもわたしと共にいるのはイエス様。キリスト教がほかの宗教とちがうのは、神さまが向こうにいて昔の方なのではなくて、今、わたしたちの中におられるということだヨ!死と復活とはそういうことです!そしてクリスチャンの祈りは自分の生きた信仰体験でなければいけないのです。口から言葉だけburaburabura、認めません。

ミサの式文になっているような、主の晩餐の記事を読みます。福音書と、第一コリント11章23節以下。

パウロはわかっていなかったんだヨ。イエスが十字架につけられたときも、へんな人だねぇ、何か悪いことしたのかな?側だったんだヨ。回心してから、イエスがだれだったのかを、パウロは学んだ。

パン裂きは信仰の本物の体験なのです。そして、実際にイエスに会っていない人が初代教会の中に増えてきて、イエスを身近に感じてもらえるように福音がまとめられました。

マルコ福音書の14章12節以下の主の晩餐の記事を読みます。

エスはわかっていた。選んだ人々の中に自分を否む人がいるということを。

現代を生きる私たちも、今まで何回まちがったか。これからもまちがう可能性がある。

エスに向かってNoと言わないことのために、原動力が必要です。

うまくいかないことがあっても自分が属する共同体のせい、だれかのせいにするのではなく、わたしの問題として引き受けます。そのうえで、イエス秘跡として、また個人として、共同体として一緒にいます。

ペトロ、えらそうなこと言う。わたしは主を否みませんと。みんなはえらそうなこと言っちゃだめよ。(笑)

エスでさえ自分の弱さ、わかっているんだヨ。戦っているから、ゲツセマニの祈りがある。自分の心の重いところと向き合うのは大変だよ?みんな、わたしがここにいるのはあなたのみ心のためです。と言えますか。口から祈りの言葉を出して、はいはい、ほめたたえ~からのこれとこれはNoです。なんて言ってませんか。これでは順番がぎゃくです!!

エスは心の中だけではなくご聖体として来てくださいます。一日、一週間の中心になるのは生きたミサですか。司祭は一つ一つの言葉でなにを言っているのかわからなければごミサにならないんだモン!あずかり方、ささげているときの自分の心をみなさい。

わたし(神父)は神学生のとき、学校のごミサであしたの試験のこと考えてた。間違ってたんだヨ!

原動力は頭ではなくこころにあるんです。力を直接いただけるのはエウカリスチア。死と復活信じているんだよ!イエスさま一緒にいるんだよ!パンを裂くなかにみことばがあります。神父、プロテスタント教会に呼ばれることがあるけど、ミサは大事です。みことばだけじゃない。パンを裂くなかにみことばがある。

義務的にごミサにあずかるのであれば、わたしは認めない!

みんなは一歩一歩、成長しつつある者。イエスとのパーソナルな出会いを深め、ささげる者になるように、聖母マリアの助け、願いましょう。アヴェ・マリア何回祈っているの?死の時だけではなく今こそ祈ってください。Buraburaburaではなく、彼女こそわたしの助け手。

 

講話のあとミサがあります。

聖体拝領しておなかがあたたかくなりながら、イエスさまと何よりも親密だと感じます。おなかの底まではいってきて、わたしの血となり心臓を動かすのはイエスのいのちです。

“イエスはご自分のやどるからだとして、ありふれた「パン」をお選びになりました。日本だったら、ごはんです。”と神父さんはいいます。

ミサ後、ロザリオを祈っているとこんなビジョンが見えました。

死んで、天高く上がっていく自分の目に宇宙飛行士のように地球が見えます。するとドイツとイギリスと日本のあちこちが金色に光り、そこから金のロープがのびていて天につながっています。わたしはそれを伝ってのぼっていきます。金色に光っているのはわたしがロザリオをささげた場所。ロザリオは、「天を地に引き寄せるロープ」なのです。

ご聖体は、イエスの生きたからだだ。遺体じゃない。とも思いました。

お昼はきのこがメインの牛丼でした。

 

午後はゆっくりして、五時から聖体顕示です。おなかがなりまくるのでちょっと落ち着いたころに向かいました。

自分のために作った意向でロザリオを祈ります。

・ほかの人々に宣教しておきながら、自分が失格者にならないこと。

・心の中の愛の泉を満ちあふれさせ、人々の救いに向かわせてください。

・イエスは惜しまずに接し、養ってくださるかた。

・神はわたしが願うよりもよいものを用意してくださっている。

・守護の天使が、わたしが良心の促しに従えるよう守ってくれるように。

 

夜は、厚焼きたまごがメインのごはんでした。