目を覚ますと10日間見守ってくれた大きな磔刑像と目が合います。
イエスさま、わたしここでの日々であなたとずいぶん親しくなったよ。ありがとう。
きょうは朝7:15からミサがあり、朝ごはんがあって解散です。
わたしは死ぬまでに何回ご聖体を頂けるかな。体内のイエスさま濃度、高めていきたい。
修道院に来る前は、ただ、仕事して稼いだお金で仕事に行くための食べ物を買うだけで、なんのためだかわからなかったし、暇な時間はスマホでジャンクな情報を入れていました。惰性でごはん食べて寝てるから生きてるみたいな感覚が、わたしのこころに物足りなさを与えていました。
でも今はどうだろう。この心臓を動かし、血となってかけめぐり、わたしがここで生きて、祈ったり、学んだり、しゃべったりするのを望んでおられる方の力を直接感じたんです。
わたしはこの恵みを持って帰って、またリニューアルしながら、こころの中の泉の水を絶やさずに生きていくんだな。
朝ごはんは、お話解禁でした。一人一人の間にはアクリルのパーテーションがありますが、となりで上手にしゅうまいやスイカに味付けしていたシスターとお話ししました。
彼女は潜伏キリシタンの七代目でした。
信仰を守る誇りをもっておいででした。
あなた、シスターになったら?
なんて言ってくださいます。
うれしいなあ。
イエスさまとおつきあいすることを一生の務めとする生き方は、何者になるかではなく、召されて選びとらせていただくものだと思います。だからだれが尊いということもない。
ここでの10日間の神父さんのお話は、洗礼を受けてクリスチャンになった人は等しくイエスさまとの親しさに招かれているということがテーマでした。
わたしの修道者風ワンピースが話題になります。袖には十字架とカリス(杯)の柄のレースがあしらわれています。遠方から来た信徒さんは、滞在中ずっとこのレースの出所が気になっていたようでした。
Vaticanumという通販で買ったものです、とお伝えします。
そして、しゃもじ事件のシスターが話しかけてきました。ドキっとしましたが、お話をする彼女の目はキラキラしていて、笑顔も素敵でした。聖公会にたいしても良く思ってくださっていました。一瞬の事だけで、ひとを怖い人みたいに塗りつぶしてしまうのは、ひとの豊かさに対してもったいないことだな、と思いました。
あまりにたくさんの持って帰れるお恵みに、抱えきれないサイズのプレゼントをもらったような気持ちになりながら、鍵を受付で返して帰路につきます。
コンビニがあります。駅に着きます。電車がきます。なにかそれらがぷるぷると、美しく見えます。世界は、だれかの仕事でできている。
神さまは、かならず良くしてくださる。わたしは信じてゆだねます。
神さまはわたしの限界を超えて、わたしを通して働いてくださる。
願うよりも良いものを与えてくださる。
そして、わたしたちのすべては抱きとめられている。
忘れないで生きていきたい。こころの風通しをよくして、循環させて、リニューアルしながら生きていきたいと思います。