おれがこの缶に入れてほしかったのは
10年ほど前のことになる。都内の大きなカトリック教会の前の路上に路上生活者のおじさん(以下、おじさん)がいた。おじさんはブリキの缶を目の前に置いて、寝ていたり、起きているときは寂しそうに座っていて、時折空に向かって声を荒げて何事かを叫んでいるときもあった。
高校生のとき、そこを通った時は、「こわいなあ」と思って道の反対側を通って教会を訪ねていた。しかしその時祈っていても、おじさんのことが気がかりだし、何も手を差し伸べなかった自分が、しっかり祈れていないとも感じていた。
大学に上がって、近くの本屋でキリスト教書やロザリオなんかをたんまり買い込んだ日、わたしは初めて寝ているおじさんのブリキ缶にこっそりお金を入れた。
「おじさん、私は自分のもんばっかり買ったけど、おなかがすいていたら何か食べておくれよ」。と思ってのことだった。見ていると、カトリック教会のミサに集まってきたおばさんなどが、ちょくちょくお金を入れていた。
わたしとおじさんとの関係が急速に変わるのは、2016~2017年のことだった。のちに双極性障害Ⅰ型を発症していることがわかるのだが、わたしが単独で貧しい人たちへの支援をしよう、イエス様の福音を宣べ伝えよう、とほうぼうを走り回る時期が到来するのだ。エネルギッシュだったわたしは、あまり家にも帰らずに、ある時は渋谷のハチ公前で路傍伝道のようなことをし、ある時は一人でキャロリングをし(!)、冬の雪が降りしきる日、ガタガタ震えている路上生活者には、自販機でなるべくカロリーが高そうなホットのドリンクを買ってきたりしていた。
ある日教会前のおじさんのところを通ると、おじさんは空に向かって声を荒げている最中だった。いわばマリオがスターをとったような状態だったわたしは、こともあろうかいちばんタイミングが悪そうなのにおじさんに声をかけた。
「おじさん、お金ないの?しんどいよね、悲しいよね。そこに教会あるけれど、神様何をしているのって思うよね…」
おじさんは驚いた顔をし、わたしの目をグレーの目でまっすぐ見つめてきた。こわいという気持ちもあったけれどわたしもおじさんの目を見つめ返した。すると、かれの目にはみるみる涙が浮かんできた。
かれは私にダンボールがひいてある「席」を勧め、わたしはそこに座った。
おじさんは、ここに何年も座っているけれど、そうやって声をかけてくれたのはあなたが初めてだ、と言った。そうかそうか、それは寂しいですよね、とこちらももらい泣きしてオンオン言いながらこたえる。
次に、おじさんは自分の生い立ちの話をしてくれた。長崎の隠れキリシタン(潜伏キリシタン)の末裔であること、ロザリオを持っていて、教会のミサの始まるときの大きな鐘の音に合わせてアンジェラスの祈りを唱えていること。彼が見せてくれたロザリオは、糸編みで、木の珠がほとんどなくなっていた。かろうじで十字架はついているが、これでは祈りが数えられない。本当に祈り込んできたのだなと思った。
おじさん、おなかすいてない?と尋ねるとさっきミサに行くおばさんがパンをもってきてくれたから、だいじょうぶ。とこたえてくれたので、わたしも涙したまま教会へと急いだ。
別の日に、わたしは長崎編みという特別な仕方で編まれた非常に丈夫な、キラキラする透明の珠のロザリオを手に入れた。最初、すてきだなと思い、使おうと思って買ったのだが、ふと教会前のおじさんのロザリオのことを思い出していた。
「そうだなあ、わたしはたくさんロザリオを持っているしなによりこの透明の珠は涙のようだ。」
ロザリオを持ってかれのもとを訪ねると、ちょうどミサの鐘が鳴った。
かれは背筋を伸ばしてダンボールの上でアンジェラスの祈りを唱えていた。
わたしもちょっと立ち止まって祈り、かれの祈りが終わるのを待って、話しかける。
おじさん、こないだ会ってロザリオを見せていただいた者です。
かれは例によってダンボールの席を勧め、わたしはまたそこに座った。
「おじさん、こないだロザリオを見せていただいたでしょう?とても祈りこめられていたけれど、珠がなくなってもうアヴェマリアが数えられない。これ、長崎編みっていうんですけど」ロザリオを取り出すとおじさんの目は丸くなった。
「きれいだね。長崎編みっていうのはなんだい」
「修道士や神学生が編んでいた丈夫な編み方だと聞いています。くさりがこうやって二重になっているのですよ。」
「珠がないとアヴェマリアが数えられないから、これ、もらっていただけませんか。これ、涙みたいでしょう。こないだ一緒に泣いたから、これおじさんのイメージなんです」
おじさんは両手でロザリオを持って、またポロポロ泣いた。ほとんど珠のないロザリオを、わたしにくれた。
おじさんこれ大事なものでしょう、いいよと断ると、いいからもらってくれという。
そして、着ていた上着の内側を見せてくれる―わたしはぶったまげることになる。
おじさんが着ていた上着の内側には、くしゃくしゃになった札束、小銭の山が入っていたのだ。ざっと10万円分くらいはあるように見えた。さらにはおじさんには家もあって、人通りがあるときだけ、ここへ来て座っているのだという。
わたしは言った、「そうか、おじさん寂しかったんだね。本当はこの缶に入れてほしかったのは、お金じゃなかったんだね」
わたしとおじさんは抱き合って泣いた。寂しいよね、悲しいよね、理解されなくてつらいよね…当時のわたしの「活動」は家族からも学校からも、白い目で見られ警戒されていたので、わたし自身も孤独だった。そして結局「あなたはおかしくなっている」と言われて閉鎖病棟に5か月の入院を余儀なくされてしまった。
入院生活を終えておじさんのところを訪ねると、おじさんはダンボールの席ごと忽然といなくなっていた。
しばらくして教会のおばさんから、おじさんが亡くなったことを告げられた。
そうか、おじさん、お祈りしていた神様と聖人たちで大混雑してる天国にいるかな。今は寂しくないかな。
ありがとう、そう言ってかれの定位置で、十字を切った。