みなさんこんにちは。Megです。
この記事では、書く、書くと言っていながら書いていなかった
修道院での修行の体験についてご紹介します。
わたしは11月のこの9泊10日の瞑想コースに、7月に申し込みました。すでに残席1でした。なんて人気なの…!それからずっと楽しみにしていました。
普段の生活と言えば、仕事に忙殺され、家族と喧嘩したりして、こころはイライラ、トゲトゲ…気づけば浅い呼吸をしていて、自分をどっしりと落ち着ける暇なんてないように思えました。
ついに修行に入る日がやってきました。
日常から離れて、徹底的に心を鍛えてゆきます。
修道院は都内にありますがとても静かです。
お部屋に案内されました。
ここに10日間泊まるのです。
今回参加したコースは、9泊10日の「キリスト教的ヴィパッサナー瞑想」。
指導してくださる神父さんは、まさかの作務衣で登場。
ヴィパッサナーとは、はっきりと見る、あるがままに洞察するという意味のパーリ語。
ミャンマーやタイ、スリランカなどの上座部仏教に伝わる瞑想に、
神父さんがキリスト教的性格をもたせて指導していらっしゃいます。
この瞑想は「気づきの瞑想」、「マインドフルネス瞑想」とも呼ばれ、仏教の文脈を離れて、広く世界で実践されるようになってきました。
その内容は、「今、この瞬間の感覚、感情、思考に、価値判断を入れることなくあるがままに気づく」ことです。神父さんはキリスト教的な瞑想として「アガペ(愛)の心で気づく」とおっしゃっていました。
たとえば、
感覚(痛み、かゆみなど)
感情(怒り、うつうつなど)
思考(決めつけ、思い込み、妄想など)
普段、わたしたちが望ましくないと思っているものがあったとします。
それが苦しみのもととなるのは、それらと「自分が一つになっている」から。
これに、「痛みと名付けたからだの感覚があるな」、「わたしは怒りを感じていて、心臓がドキドキしているな」などと「気づきを入れ」ます。
すると、その「気づいて」いる自分自身を、それらの感覚、感情、思考から距離をとったところにおくことができます。それが本来の私の場であるというのです。
ポイントは三つ。
過去のことでもなく未来のことでもない、今、この瞬間に気づく。
感覚、感情、思考に、いい悪いの価値判断を入れずに気づく。
生じてきているものに何かを加えることなく、ありのままに気づくこと。
初日に教えていただいた瞑想を紹介します。
床に腰を下ろして座るか、いすに座ります。
意識を明瞭に保つため、腰骨をしっかり立てます。
目は原則閉じますが、眠気が襲ってくるときは半眼(うす目)か、目を開けます。
手は、右の手指を左手で軽く握って、そのまま膝の上におくようにします。落ち着く形であればほかの形でも良いです。
自然な呼吸で、意識をおなかに集中させます。
吸うときに少しふくらむおなかの感覚に気づきます。
吐くときにへこんでいくおなかの感覚に気づきます。
感じ取りにくい時は、手をおなかにあてても良いです。
おなかがふくらむときに心の中で「ふくらむ」と唱え、へこむときに「へこむ」「もどる」などと唱えることで気づきを助けます。
※唱えることをラベリングといいますが、言葉に集中しきってしまうことを避けるために、意識の10%くらいで唱え、残りの90%は実際のおなかの感覚に気づきます。
意識の集中が弱くなってくるのを感じたら、腰骨をゆっくり立てましょう。
雑念(マインド・ワンダリング)がわいてきたら
瞑想を行っているときに、心が集中すべき対象から離れている状態を雑念といいます。
雑念に気づいたら、すばやく気づいて、集中すべき対象に戻します。
気づいて・戻す 気づいて・戻す
音に気を取られているのに気づいたら、心の中ですばやく「音」と唱え、意識を本来の対象に戻します。
同様に、考えにとらわれていたら「考え」、想像やイメージに意識が入り込んでいたら「想像」「イメージ」など適切な短い言葉で唱え、ただちに意識を取り組むべき対象に戻します。
身体のどこかに痛みや不快さを感じて意識がとらわれているのに気づいたら、「痛み」「不快」と心でとなえ、意識を対象に戻します。姿勢は動かさないようにします。
その際に、「集中できないわたしはだめだ」「またやってしまった」などの価値判断は持ち込まないようにします。価値判断を一切しないで、素早く気づいて・戻す。気づいて・戻すのくりかえしです。
あるがままの心の現実や感覚に気づくだけにとどめます。そのような自分を責める心が出てきても「今、『またやってしまった』と、思った」のように気づきを入れます。
呼吸に伴うおなかのふくらみに気づく瞑想は、3分を基本に、5分、10分、15分、最大一時間とのばしていきますが、大切なのは意識を明瞭に対象に集中させることなので、短い時間に休憩を入れて何回か取り組みました。
価値判断を入れずに、自分の心とからだに生じてきたものを見守る本来の自分は穏やかで、マリア様のまなざしのよう。最初はほんの少しの時間でしたが、「アガペの心でありのままに気づく」ことの平穏さに気づくことができました。
こういった瞑想が種々組み合わされており、習熟してくると不快な外からの刺激や好きではない人の言動にもアガペの心で気づいていくといったワークがあります。日常の世界こそ、瞑想の場所なのです。
あ、そういえばごはんは精進料理みたいな質素なものかな?と思いきやがっつり肉とか魚とか揚げ物とか出てました。めっちゃおいしかったです。
その時間も、「食べる瞑想」というものをします。
食べているときの口の中の感覚やかむ音、味に気づきます。
神父さんはこんなこともおっしゃっていました。「スマホをみながらのごはんなんて、もってのほか!」
おやつの時間も有り。
わたしは朝、トーストにオリーブオイルをたっぷりつけて食べるのにはまったのですが、毎日オリーブオイルを食べていたらお肌がつやつやになりました。
お肌つやつや、メンタルしっとりの10日間でした。
今回瞑想の機会をいただいた修道院はこちら↓ WEBフォームでお申し込みができます。宿泊と研修には費用(献金)がかかりますので、電話でお問い合わせください。
日帰りからロングステイまで、多様なコースが用意されています。